20190319

朝、コンビニで傘を買った。駅から目的地までの10分間、小雨の中新品のビニール傘をさして歩く。用事を済ませて建物を出ると雨は止んでいた。手元にはただの荷物に成り果てた白く細長い物体。こうして一人暮らしの家にビニール傘コレクションが増えてゆく。

 

午前のセミナーが終わり一服。前回と同じ喫茶店に入る。気に入った小説は何度でも読むし、気に入った音楽は何度でも聴くし、気に入った喫茶店には何度でも訪れる。

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午後の説明会に必要な履歴書を書こうとする。が、印鑑を忘れるというまさかのミス。そこそこ気になっていた企業だが仕方がない、諦める。さすがに会社説明会をサボりすぎているな、という自覚はある。罪悪感に苛まれるが、どうしようもない。精神と身体が就活に追いつかないのだ。

 

ストレスのせいなのか疲労のせいなのか理由は分からないが、最近イライラしやすい。これは精神衛生上良くない。しかし自分ではコントロールできない。上手く眠れないし何も食べたくない。スーツを着たくないし外に出たくない。バイト中はお客様の些細な言動で不愉快になる。こういうどうしようもない感情は尾崎世界観に任せてイヤフォンから流してみる。ある程度は代弁してもらえたが、まだ収まらない。カラオケに行く体力さえ残っていない。もうだめだ。一刻も早く自分のベッドで横になりたい。

 

鬱気味になるとSNSの投稿が増える、という傾向がある。今まではTwitterInstagramで鬱憤をぶちまけていたが、最近はこのはてなブログがブームらしい。かつてないほどの投稿頻度を記録している。自分だけが確認できるメモにでも書けば良いのに、こうしてわざわざ誰かに見られる可能性のある場所に文章を出すということは、少なからず承認欲求があるということだ。情けない。無様だ。

 

 

 

 

 

下書きに残っていた感情の掃き溜め(20190405)

20190315

2ヶ月ぶりに生理がきた。生理不順はいつものことだし、今回は原因(就活のストレス+生活習慣の乱れ)が明らかなので別に何ともない。が、少し、ほんの少しだけ安心する。

 

今日観た映画が想像以上に良かった。あまり興味がなかった作品だったので、自分一人だったら絶対に選んでいなかっただろう。誰かと一緒に映画を観るのにはいくつか利点がある。自分の守備範囲外の良い作品に出会えること。体験を共有し、感想を言い合えること。そして、今後その作品のタイトルを見かけるたびにその人を(良くも悪くも)思い出すこと。

最近は映画から少し距離を置いていた。精神状態が不安定な時は些細なことで心がおしまいになってしまうので、起承転結を軸に構成されている映画を観る、という行為は今の自分にとって危険すぎると判断していたのだ。特に危ないのが転。頼むから転ばないでくれ。怪我なく安全に進み続けてくれ。もしくは辿り着いた先が必ず幸福だと示唆し続けてくれ。一秒たりとも不安にさせないでくれ。しかしこの条件をクリアするような作品は単調で抑揚がなく、飽きずに最後まで観続けるのは困難極まりない、という場合がほとんどだ。そんなのこのクソ忙しい時期にわざわざ時間を割いてまで観る意味がない。もっと心のゆとりがある時にコーヒーでも飲みながらゆっくり眺めたい。しかし刺激の強い作品はそれ以上にNGだ。ただでさえ他人が怒っているのを見るだけでダメージを受けるような人間なのだから、情緒不安定な今、たとえフィクションでも人が死んだり殴られたり辛い目に合ったりされたらひとたまりもない。映画を避けていたのはある種の自己防衛とも言える。

今回観た映画はそういったシーンが皆無だったわけではないのだが、鑑賞後まで引きずるほどでもなかった。もちろん考えさせられる部分もたくさんあったが、思わず微笑んでしまうようなシーンはそれ以上に多く、比較的穏やかな気分のままでいることができた。

締め方が分からなくなった。映画の話はもう終わりにしよう。

 

ここ数年、ずっと泣きたい気分だ。しかし実際に涙が出ることはない。涙脆い人のことを「涙腺が弱い」と言うのなら、私はきっと涙腺が強いのだろう。どんなに感動的な本を読んでも、全米が泣いた映画を観ても、泣けない。前回いつ泣いたのかも思い出せない。そもそもなぜ自分が泣きたいのか明確な理由が分からない。涙を流すとストレス発散に繋がるらしいので、無意識のうちに身体がそれを望んでいるのかもしれない。ストレス。私が体調に違和感を感じてネットで検索する時、原因の欄には必ずその文字が現れる。ストレス。私のストレスは、一体、何だ?

 

眠れない夜が増える。たぶん内定が決まるまでずっとこの調子だろう。自分のメンタルの弱さに嫌気がさす。

20190310

会社説明会に行った。学外のものに行くのは初めてだった。

まず、インドアな私にとっては大阪まで出るだけでしんどい。人が多いのも苦手だ。さらには普段履かないヒール。少し歩くだけで足が痛くなる。説明会中は姿勢も意識しなければならない。背筋を伸ばし、足を揃えて数時間じっとしているだけで疲れる。

同じようなスーツを着て同じような髪型をした集団というのはやはり滑稽だ。みんな個性を殺しにかかっている。まあ私も例外ではないのだが。それにしてもこの異様な光景には慣れない。不自然すぎる。確かに外見にあまり差がないと他の部分が顕著になる。仕草、態度、言葉遣い、等。採用する側にとってはこの方が個々を差別化しやすいのだろう。それにしても、だ。みんなこれをおかしいと思わないのだろうか。そんなに容易に受け入れられることなのだろうか。自分がこの集団の一部となっていることに吐き気がする。早く解放されたい。

 

疲労とストレスで直帰する気になれず、気になっていた喫茶店に駆け込む。スーツに匂いがつく心配よりもニコチン欲が勝つ。美味い。タバコは疲れてる時が一番染みる。Amazonで消臭スプレーを注文する。想像していたよりも大きなカフェオレが来る。

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明日は友人とごはんに行く。春休みに入ってからあまり話せていないので楽しみだ。まあ、話題はもっぱら就活関連になるだろうけど。

その子の誕生日が近いのでプレゼンを買おうと思う。今年はTHREEのバランシングクレンジングオイルにする予定。去年はAesopの日焼け止めをあげた。お洒落で消耗品で自分用に買うには少し贅沢で、人を選ばない(化粧品など色の好みが影響するものはあげるのに抵抗があるため)もの。

 

2日ほど前、ゼミの先生にESの添削をお願いした。彼は教授以外にも様々な仕事をこなしているため年中忙しい。が、学生のために時間を使うことを惜しまない。とても丁寧な返事が来た。このゼミを選んで本当に良かったと思う。

私が京都に出てきた甲斐があると思ったことの一つが、この先生との出会いだ。もう一つは前のバイト先の社員さんとの出会い。この二つ以外ないと言っても過言ではない。そのくらい私の人生において重要人物だ。またいつか詳しく言語化して残しておきたいと思う。今日はもう疲れがピークに達しているのであと一本吸ったら帰ることにする。

20190308

3月4日、大学の合同企業説明会に行くため、昼頃起きてシャワーを浴びて化粧までした。あとはスーツに着替えて髪をセットして出掛けるだけ。

しかしどうしてもタバコが吸いたい。

時間的には余裕がなかった。タバコを諦めればなんとか間に合う、吸ってしまうとギリギリアウト、くらい。

結果、ニコチン欲に勝てなかった。(そもそも就活欲なんて皆無どころかむしろマイナスなのだからタバコが勝つに決まってる)

 

そこから家に引きこもり始めて4日目。何をしてるんだ自分。というか、何をしていたかあまり記憶がない。寝てインターネットを見て、の繰り返し。食事は買い貯めておいたウィダーカロリーメイトでなんとか凌いだ。21年の人生の中でもトップを争うくらい無意義な時間だ。やらなければならないことは死ぬほどあるのに。

 

 

 

「いわゆる良い旦那になれる男は根本的につまらない人間であることが多い」というような内容のツイートを見かける。真理だと思う。

 

久しぶりに彼氏から電話が来る。ここ数日LINEの返信を怠っていた私を心配してくれていた。良い旦那になるだろうな、と思う。

数時間後、セフレから電話が来る。いつも通り無視する。彼女がいるにも関わらず平気で連絡してくるような男。良い旦那になれないだろうな、と思う。

でも、モテるのは、明らかに後者だ。

 

 

 

最近思考を放棄しすぎているせいで確実に頭が弱くなってきている気がする。徐々に脳みそが溶けてゆく

20190228

2019年の6分の1が終わる。嘘だろ。だってついこの間年が明けたばかりじゃないか。まだ外が暗い中、寒い寒いって文句言いながら自転車漕いで海まで行って初日の出を見たばかりじゃないか。

 

就職活動をしなければならない、なんてことはずっと昔から分かっていた。分かりきっていた。なのに直面するとやはり厄介で、私はどうしようもなく怠惰で、何もしたくなくなってしまう。「何もしたくない」とは文字通りの意味で、バイトも、読書も、映画鑑賞も、自己分析も、企業研究も、会社説明会に行くのも、ESを書くのも、面接練習も、生活も、もう何もしたくないのだ。何も。

そうして現実逃避を繰り返すうちに春休みも1ヶ月が過ぎてしまった。時間の浪費。こんなのは別にいつものことだ。昼夜逆転の生活も、生産性のない毎日も、今まで嫌というほど繰り返してきた。しかし今回はこのままでは終われない。

生きていくためにはお金が必要だ。お金を得るためには労働が必要だ。労働をするためには就職活動が必要だ。このスタート地点で躓いていたら生きてゆけない、ということになる。

正直、フリーターでも生きてゆくこと自体は可能であると思う。しかしその場合確実に一人暮らしはできないだろう。実家には戻りたくない。そして私は結婚する気もない。ここで専業主婦という選択肢も断たれる。となると、やはり無難に新卒である程度の会社に就職することが望ましい。

私が就職活動で一番懸念していることは、面接である。これはどの会社においても必須項目だろう。しかし私は面接で話せるようなことが何もないのだ。本当に、何も。

そりゃ一応21年間生きているんだから何かしらの出来事は起きている。しかし、就職活動の場において聞かれるのは「大学時代に何をしていたか」だ。私は大学時代に何もやっていないのだ。本当に、何も。

サークルは1年で辞めた。バイトは3つ経験したけど、全部飲食店。ボランティア経験なし。留学経験なし。資格ゼロ。面接で話せるような、自分をアピールできるようなエピソードが、本当に、一つも、ない。

さらにやりたい仕事も特にないため、「絶対この企業に入りたい!」というような熱意もない。終わってる。こんな就活生いやだ。絶対採用したくない。

とにかく就活が嫌すぎて、院に進む、もしくは休学して留学、なんて選択肢も考えた。しかしそれだけ親の脛をかじっておいて何も得られなかったら、と考えると怖くなってやめた。そもそも選択を先延ばしにするためのツールとしてそういうものを使っても無意味な気がする。自分の中にそれなりの覚悟がなければ、環境が変わったところで成長はできないだろう。

 

タバコを1本吸うと寿命が5分縮まるらしい。それを聞いてから私の喫煙量は増えた気がする。ゆるやかな自殺

20190119

バイト。夕方にはだいぶ客足が減った。おじいさん。見たことがある気がする。「あとから連れが来ますんで」とウインナーコーヒーを注文。おばあさん。ああ、そうだ。この老夫婦は以前にもうちの店に来たことがあったな、と思い出す。彼女はゆっくりと、それはもうおそろしいほどゆっくりと、杖をつきながら歩く。やっとこさおじいさんの座るテーブルにつく。なぜ入口から一番遠い席に座ったんだよおじいさん。もっと入口付近に座ってあげれば良かったのでは。おばあさん。ナポリタンとレモンティーを注文し、お手洗いに立つ。「トイレに手摺りはありますか?」と聞かれる。客用のトイレに行ったことがなかったため、素直に「すみません、分かりません」と答える。「まあ大丈夫でしょう」とおじいさん。本当に大丈夫かよ、と思わざるを得ないほど覚束ない足取りでトイレに向かうおばあさん。オーダーを通す。「ゆっくり作ってください」と店長に一応頼んでおく。おじいさんが来る。「麺を柔らかめにしてもらえますか?」オーケー。店長に伝える。私「そういえばトイレに手摺りってありますか?広い個室みたいな」店長「ああ、障害者用?多分あったと思うけど…」ゆっくりとナポリタンが出来上がる。席に持って行く。まだおばあさんは戻っていない。店長が外に出る。帰って来る。「ちゃんと障害者用あったわ」安心。おばあさんが帰って来る。レモンティーを持って行く。二人で一つのナポリタンを食べている。ゆっくりと。

 

おばあさんがこちらに向かって歩いて来る。ゆっくりと。「ごちそうさまでした」その言葉を合図にするかのようにおじいさんが伝票を持って立ち上がる。

おばあさん「美味しかったです」私「ありがとうございます」「男の人がぶつかってきたんですよ」「え、大丈夫ですか?(トイレに行った時かな?)」「それで大腿骨を骨折して」「ええ!?(どういうこと!?)」「やっとここまで歩けるようになったんですよ。男の人はそのままどっか行っちゃって」「ええ!?(なるほど、少し前に起こった出来事なのね。それにしても酷い話だ)」「年を取るとどうしてもねえ」「お大事にしてくださいね」「ありがとう、ごちそうさま」

 

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しばし微笑ましい気持ちに包まれる。こんなに年を取っても夫婦で外食する仲の良さ。まあでも確かにこの状況で家でごはんを作れる人はいなさそうだな、などと冷静に想像する。でもさあ、彼らにも私くらいの年齢だった時があって、出会って、ここまでずっと一緒にきたんだよなあ。その時間の長さを思うと閉口する。歩くスピードが合わなくなってもそばに居てくれる人がいるということ。自分のことを思って「麺を柔らかめにしてください」とわざわざ頼んでくれる人がいるということ。耳が遠くなっても食事中に会話をする相手がいるということ。

しかし。

私はそんな感情だけでは終われない。彼らを見て恐怖を感じずにはいられない。いつかは皆こうなるのだ。人間は老いに逆らえない。様々な機能が低下し、身体の至る所に支障が出て、男の人にぶつかられただけで骨折して歩けなくなってしまう。しわしわの皮膚、折れ曲がった腰、白く染まった髪の毛。年を取れば誰もが通る道。分かっていても私は老いが怖くて怖くて仕方がない。どんどん我が身に不自由が迫ってくる状態。想像しただけで耐えられない。できるだけ早く死にたい。誰にも迷惑をかけずに。全ての物事を自分で解決できるうちに。

 

それでも。

しわしわの笑顔で「ごちそうさま」と言われた店員の心が明るくなったのは事実なのでした。