20190119

バイト。夕方にはだいぶ客足が減った。おじいさん。見たことがある気がする。「あとから連れが来ますんで」とウインナーコーヒーを注文。おばあさん。ああ、そうだ。この老夫婦は以前にもうちの店に来たことがあったな、と思い出す。彼女はゆっくりと、それはもうおそろしいほどゆっくりと、杖をつきながら歩く。やっとこさおじいさんの座るテーブルにつく。なぜ入口から一番遠い席に座ったんだよおじいさん。もっと入口付近に座ってあげれば良かったのでは。おばあさん。ナポリタンとレモンティーを注文し、お手洗いに立つ。「トイレに手摺りはありますか?」と聞かれる。客用のトイレに行ったことがなかったため、素直に「すみません、分かりません」と答える。「まあ大丈夫でしょう」とおじいさん。本当に大丈夫かよ、と思わざるを得ないほど覚束ない足取りでトイレに向かうおばあさん。オーダーを通す。「ゆっくり作ってください」と店長に一応頼んでおく。おじいさんが来る。「麺を柔らかめにしてもらえますか?」オーケー。店長に伝える。私「そういえばトイレに手摺りってありますか?広い個室みたいな」店長「ああ、障害者用?多分あったと思うけど…」ゆっくりとナポリタンが出来上がる。席に持って行く。まだおばあさんは戻っていない。店長が外に出る。帰って来る。「ちゃんと障害者用あったわ」安心。おばあさんが帰って来る。レモンティーを持って行く。二人で一つのナポリタンを食べている。ゆっくりと。

 

おばあさんがこちらに向かって歩いて来る。ゆっくりと。「ごちそうさまでした」その言葉を合図にするかのようにおじいさんが伝票を持って立ち上がる。

おばあさん「美味しかったです」私「ありがとうございます」「男の人がぶつかってきたんですよ」「え、大丈夫ですか?(トイレに行った時かな?)」「それで大腿骨を骨折して」「ええ!?(どういうこと!?)」「やっとここまで歩けるようになったんですよ。男の人はそのままどっか行っちゃって」「ええ!?(なるほど、少し前に起こった出来事なのね。それにしても酷い話だ)」「年を取るとどうしてもねえ」「お大事にしてくださいね」「ありがとう、ごちそうさま」

 

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しばし微笑ましい気持ちに包まれる。こんなに年を取っても夫婦で外食する仲の良さ。まあでも確かにこの状況で家でごはんを作れる人はいなさそうだな、などと冷静に想像する。でもさあ、彼らにも私くらいの年齢だった時があって、出会って、ここまでずっと一緒にきたんだよなあ。その時間の長さを思うと閉口する。歩くスピードが合わなくなってもそばに居てくれる人がいるということ。自分のことを思って「麺を柔らかめにしてください」とわざわざ頼んでくれる人がいるということ。耳が遠くなっても食事中に会話をする相手がいるということ。

しかし。

私はそんな感情だけでは終われない。彼らを見て恐怖を感じずにはいられない。いつかは皆こうなるのだ。人間は老いに逆らえない。様々な機能が低下し、身体の至る所に支障が出て、男の人にぶつかられただけで骨折して歩けなくなってしまう。しわしわの皮膚、折れ曲がった腰、白く染まった髪の毛。年を取れば誰もが通る道。分かっていても私は老いが怖くて怖くて仕方がない。どんどん我が身に不自由が迫ってくる状態。想像しただけで耐えられない。できるだけ早く死にたい。誰にも迷惑をかけずに。全ての物事を自分で解決できるうちに。

 

それでも。

しわしわの笑顔で「ごちそうさま」と言われた店員の心が明るくなったのは事実なのでした。