20171029

川上未映子さんの『愛の夢とか』を読んだ。

 

初めて読んだ川上さんの作品は『すべて真夜中の恋人たち』という小説だったのだけれど、正直に言うと苦手な感じだった。読み終わった後のやりきれなさというか、苦しさというか、とにかく登場するすべての女の人のことをどうしても好きになれなかった。人間の本当に嫌な部分がきちんと言語化されてしまっていて、それが分かりすぎて、ほんとうにつらくなった。

 

前回読んだのは長編小説だったから、今回は短編集にチャレンジしてみた。しかし一番はじめの『アイスクリーム熱』を読んだ時点で「あ、やっぱり苦手だ」と思い始めて、『お花畑自身』なんて途中で読むのをやめようかと思うほどだった。

最後の『十三月怪談』という話も、読み始めはなんとなくもやもやした。でも、読み進んでいくうちに涙が出そうになったり、なんというか、良かった。後からもう一度読み返したい作品だと思った。

 

死にまつわる話だったので、どうしてもそういうことを考えてしまう。

事故や地震で突発的に死ぬなら考えることはなにもないけど、もし自分が病死する場合。

例えば今、「あなたは余命数ヶ月です」と伝えられるとする。まず始めに、大学とバイトを辞める手続きをしなければならない。まだ自分で動ける体力があるのなら、大学の学生生活センターへ行って手続きを取ったり、今現在入っているシフトの分を出勤したりしなければならない。

大学の友達は片手で数えられるほどしかいないけど、一応連絡はすると思う。元気があれば最後に直接会いたいし、仲良くしてくれたお礼に何かプレゼントを贈りたい。手紙を添えて。

その後、地元の病院にうつるため、引越しをするだろう。家具は売るか、業者に頼んで実家に運んでもらって、大家さんに部屋の鍵を返して、親の車で実家に帰る。

高校以前の友達には、「私あと余命数ヶ月です!」なんて連絡いちいちするの恥ずかしいし、みんなの知らぬ間にさっと居なくなりたい気もするけど、やっぱり私の方が会いたいし、もし入院とかしてたらお見舞い来て欲しいって言うかも。花とか果物とか気を遣わせたら申し訳ないけど、来てくれたら写真をいっぱい撮りたいな。もし抗癌剤治療を受けてて髪の毛がなかったら顔のでかさが目立って仕方ないと思うけど、やっぱり病気になったら痩せ細って頬の肉とかも落ちるのかな。SNOWで撮れば小顔に見えるかな。

実際入院したらすることなくて暇なんだろうな。たくさん本を買って来てもらったり、ゲームしたり、散歩したりしたい。そんな元気あるのかな。あとは毎日日記つけたい。よく出版されてるよね、若い子の闘病生活のやつとか。まあ別にそんな格言めいたこと言うわけでもなく、今日のごはんが何だったとか、本の感想とか、誰が来てくれたとか、そういうくだらないことをつらつらと綴りたい。機嫌が良い時は絵も描いたりしてさ。

こんな能天気なこと書いてるけど、きっと本当に病気になったら毎日毎日苦しくて苦しくて苦しくて痛くて辛くて、「いっそ早く死んでしまいたい」とか思うのかな。いわゆる安楽死というやつ。

私の場合、どうせ死ぬって分かってるなら、入院費とか治療費とか親に払わせるの申し訳なくなっちゃうんだろうな。たぶん金銭的にはうちの家は余裕がある方だけど、死ぬ人間にそんなお金かけるくらいなら二人で旅行にでも行って、ちょっと良いホテルに泊まって、美味しいごはん食べて欲しいと思う。これって綺麗事?

 

私は自分が「あとちょっとで死ぬよ」って言われてもめちゃくちゃ受け入れるし、なんだかんだ20年楽しかったし、これから待ち受けていたであろう辛い苦しいことを体験せずに済むし、就活で悩まなくて良いし、まあいっかって思える。(今は健康だからこんなことほざいてるけど、実際そういう状況になったら生きたいと思うのかもしれない。)

でも、もし自分の身内とか、友達とか、そういう人がこんな状況になったら本当に悲しくて嫌でしょうがなくて、でも自分にはどうすることもできなくてただ死を待つしかなくて、あ、想像しただけで無理になってきた。やめよう。私の周りは本当に良い人たちばかりなのでいつまでも健康で長生きさせてください、神様。

 

現実の話をすると、私は健康だけが取り柄で、季節の変わり目だろうが何だろうが風邪も引かず、ただただ元気で、大きな怪我も病気もしたことがなくて、たぶんこのままずっと平凡に毎日だらだら生きていくんだと思う。いつ何が起きるか分からんけども。

たぶん、私が生きてる間に誰かが死ぬし、就活で悩むし、辛い苦しいこともたくさんあるんだろうけど、大恋愛をするかもしれないし、仕事が上手くいくかもしれないし、なんかすげーことが起こるかもしれない。未来があるということは、生きているということは、それだけで十分幸福に値するのかもしれない。