20170520

喫茶店で話をした。

会うのは去年の12月ぶりだった。

 

水をかけられるか、殴られるか、殺されるか、等いろいろ予想していたけど、どれも外れた。その代わり、言葉で刺された。まあでもその威力は想定の範囲内だったため、なんとか生き延びる事が出来た。多少の傷はついても致命傷になる事はなかった。

最初から分かりきっていた事ではあるが、彼女の言葉は全て正しく、非があるのは完全に私の方だった。私には言い返す言葉もなければ謝罪する資格すらなかった。今日は負け戦をするためにわざわざ出向いたと言っても過言ではない。私が正々堂々と負ける事で相手が満足するならそれで良かった。そもそも、仕向けられた戦いを拒否する権利など私が持っている筈がなかった。

 

衝撃の事実を二つ聞いた。確かに驚いたけど、これもある意味想定の範囲内だったためショック死に至る事はなかった。

 

1時間程度で戦は終わり、忘れないように記録しておこう、と思いこれを書き始めたところでもう一人の方から電話が来た。

 

二人の話を立て続けに聞いて、やっぱり人間は複雑な生き物だなと思った。その人が今まで生きてきた中で得た経験と知識によって価値観や感受性が形成され、そこからその人独自の信念やポリシーみたいなものが発生する。十人十色というか、もはや七十三億人七十三億色。兄弟だろうが双子だろうが、他人と完全に一致する事は不可能なもの。

二人には正反対な部分がいくつかあって、たぶんそれについてはどれだけ話し合っても理解し合える事は一生ないんだろうなと思った。だからこそ、片方が我慢して妥協するしか解決法がなかったのではないかと思う。

 

これの一番厄介なところは、年を取れば取るほど「自分が一番正しい」と信じて疑わなくなる傾向にある事だと思う。(もちろん人によって個人差や例外はある。)イメージ的には、信じる年数の増加に比例してその信頼度も増していく、という感じ。

これは爺さんや婆さんが頑固になりがちであるのと同じ原理で、ある意味懐古主義的というか、例えば技術が発達して便利な世の中になっても「自分たちが経験してきた昔の時代の方が良かった」と嘆き新しいものを忌み嫌うように、他人から新しい意見や指摘を与えられても聞く耳を持たず「自分の経験上これが絶対に正しい」と盲信してしまう、みたいな。言わば"自分の過去至上主義"。

 

もちろんこれが絶対的な悪であるわけではなくて、その人の中ではその人が生きてきた過去こそが全てであり真実だし、自分の中で芯となる思想に則って生きていくというのは重要な事だと思う。それが他人と同じである必要もない。みんな違ってみんな良い。

実際、私にはその芯がまだ見つからないため苦労する場面も多々ある。元々気分屋というのもあるけど、意見が突然180度変わる事も珍しくないし、芯がない故に他人に流されまくる。良い方に流れる時もあるけど、その都度流れる方向が変わるため進む道に一貫性がない。

 

ただ、今回の場合においては、私に芯がなかったおかげ(?)で、二人の意見を平等に聞き入れる事が出来たように思う。「この人はこういう思想の持ち主であり、こっちの人はこういう思想の持ち主である」という事実を知るだけで、それ以上でもそれ以下でもない。どちらかに同意してどちらかに反対する、というような事が起こらなかったため、客観的に考察できた。

 (ただし、これは二つの相反する意見を同時に聞いた上で出来た事なので、どちらか片方しか聞いていなかったからたぶんそちらに流されていたと思う。危ない。)

 

 とにかく私の十代最後の一年はドロドロに濃密で、甘い美味しいところよりも苦い不味いところの方が圧倒的に多くて後味も最低だったけど、これでやっと終止符を打つ事ができた。やっと。

後悔はない。経験値が54239753121673ほど上がった気がする。もう同じ間違いは犯さない。

 

これからしばらくの間は大人しく暮らす。

 

終わり